3.11 茨城県 那珂湊大洗 被災当時の写真

2011年3月11日に発生した東日本大震災。

地震で発生した津波により、海沿いの街は内陸に比べて多くの被害を受けました。

茨城県の那珂湊大洗も例外ではありません。

当時私は自転車を使いまわれるところを回って写真を撮影していました。

少しではありますが、紹介していきます。

内陸に住んでいた私は、海沿いの被害を実際に目の当たりにして絶句したのを覚えています。

あれから9年が経ち今では本当にきれいな街になりました。

那珂湊の街

那珂湊も津波に襲われた街です。

街中にはいたるところに残骸が散らかっていました。そして地面は砂だらけでした。

那珂湊

那珂湊の天満宮。灯ろうが倒れてしまっています。

那珂湊

那珂湊

那珂湊

おさかな市場から大洗開門橋に向かう道路です。

那珂湊

バイクで様子を見に来ている人もいました。

那珂湊

おさかな市場の前の通りは特に、津波による残骸がひどかったですね。

津波後の那珂湊おさかなセンター

おさかなセンターの方は、船が乗りあげていたりひっくり返っていたりしていました。

おさかなセンター

おさかなセンター

おさかなセンター

おさかなセンター

どれも津波の恐ろしさを思い知らされます。

普通ではありえない光景が広がっていました。

市場の方はすべてのものが流されてしまっていて跡形のもなくなっていました。

海鮮料理屋「鳴門」

ここは完全にきれいになって今も営業しております。

おさかなセンター

おさかなセンター

私の知るおさかなセンターはなくなっていました。

おさかなセンター

おさかなセンター

おさかなセンターの船着き場と公衆トイレ付近です。

コンクリートが崩れて海に流されてしまっています。

おさかなセンター

那珂湊の海沿いを初めて見たときは「本当に津波がきたんだ」と現実を突きつけられる思いでした。

海洋高校から平磯海岸に向かう道路の陥没

ここの道路の陥没もかなりひどかったですね。

ここの道路は直すのに結構時間がかかっていた記憶があります。

平磯海岸名物「クジラの大ちゃん」は変わらずそこにいましたね。

阿字ヶ浦

阿字ヶ浦海岸の電柱は全部曲がってしまっていました。

津波で押されてしまったのでしょうか?

海門橋近くの那珂川沿い

海門橋近くの那珂川沿いの道です。

良く釣りをしている人がいたスポットですがコンクリが割れてしまっています。

時々通る自衛隊の車に被災地であることを改めて思い知らされます。

大洗磯前神社方面

海門橋から撮った那珂湊の街並みです。

大洗水族館もしばらく休館していました。

大洗磯前神社の鳥居が崩れてしまっています。

震災後の大洗の街

大洗の街も津波に襲われたそのツメ跡が至るところに残っていました。

大洗は街に残った泥が乾いて砂埃がすごかったのを覚えています。

津波で流された車がいたるところにありました。

めちゃくちゃでかいタイヤ。重機用と思われる。

大洗の船着き場も同じように船が打ち上げられていました。

めんたいパークかねふく。このころはまだ建物の上にマスコットキャラはいなかったんですね。

とにかく砂埃がすごかったです。

大洗アウトレットにあったアスレチックのパイプがぐちゃぐちゃに崩れてしまっています。

大洗アウトレットは立ち入り禁止になっていました。店内の商品はほとんど津波で流されてしまったようです。

侵入できないように警察が見回りをしていました。

大洗アウトレットは現在建物はありますが、中のお店自体はほとんど変わってしまい、お店の名前も変わってしまいました。

いたるところで橋が通行止めに

被災中はいたるところで橋が通行止めになっていました。

液状化の影響で橋と道路に段差が出来てしまいまた、橋の手前の道路が割れたりしたためです。

なのでいつも通っていた橋が通れないこともあり、遠回りをしていくことも多かったです。

この様にほとんどの橋が被害を受けました。

まとめ

やはり海沿いの街は内陸に比べると想像を超える被害があることがわかりました。

あれから9年が経ちどちらの港町も今では綺麗になり活気を取り戻しています。

恐らく人それぞれこの震災で学んだことはたくさんあると思います。9年が経ち教訓にしていたことなども薄れがちになったりするこの頃ですが、こういう機会に今一度思い出すことも大切だと思います。

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